まなこにうつるいろ

お花とワンコをメインに、目に映った様々なものを写真で綴ります。

その日(3月11日のこと)

地震後のべほーちゃん達
べほ〜ちゃんたちにとっては春、恋の季節な時期にとんでもないことが起こってしまいました。(この写真はその時の1時間後くらいに撮ったものです)

以下はパニクりかけたその日の私のなが〜い独り言日記(超長文)なので、お気にとめませんに。(スルーして下さい)

その時、パソコンに向かって仕事をしていました。
月末まで頑張れば、忙しさから解放される♪もう少しの辛抱よっ!
そう思いながら。

忙しいと時間がよく分からなくなるので、FMラジオを聞きながらだいたいは仕事をしています。この時もそうでした。

「揺れています・・スタジオが揺れてきました・・・」ラジオのパーソナリティーの人が言い出しました。
揺れが少しずつ大きくなっていく中で、急いで作業中のファイルを保存し、雷じゃないけど心の中で数を数え(揺れは数十秒なことが多いでしょう?)・・・でも、もしかして、もっと大きな揺れになったら(と、この時は勝手に震度4くらいだろうな?と予想して)、あきは驚くかもしれない。

離れの仕事場から、あきのいる母屋に急いで駆け戻りました。
サンダルを脱いで家に上がった時にはかなり大きな揺れになっていました。

ここで大声を出したら、あきはパニックを起こすかもしれない。。。
なので、リードを握りしめ、皮の首輪も握りしめ、内心動揺はしてるけど、できるだけ落ち着いたふりして、縁側で昼寝をしているであろうあきの元へ急ぎました。(案の定昼寝をしていた。あの揺れの中でたいしたヤツだ。(^_^;)

「あきちゃん、お外へ行こう♪」優しく言うと、大きな揺れだけれど、長周期だったためか?寝ぼけてたからか?おびえておらず、ほいほいとしっぽを振って機嫌良く外に出てくれました。

大きな揺れの中やっとの思いで家の外に出たけれど、まだ揺れてるっ。長い!!
勝手口のそばで、あきのおしりの方を抱えて、しゃがみ込みました。
(立っていると、船酔いみたいで気持ち悪い)

親たちはどうしているだろう?と、思ったら、花用の大きな冷蔵庫から出てきた母が母屋へ戻って来ました。
ようやく揺れが収まってきた?

「私はどうかしちゃったのかと思った」と、血圧高めの母。
具合が悪くなったのだと思ったと。

そんな話をしていると、地鳴りがしてまた大きな揺れが・・・

「○○ちゃんは?」←毎日手伝いに来てくれている叔母。
「ビニールハウスで作業している」と、母。

揺れが収まって叔母の元へ行くと、「大きかったね〜」と叔母。
「ちょっとこれは普通じゃないんじゃない?」

そんな話をしながら、母屋の方へ3人+1匹で戻ってくると、また大きな揺れ。
外に停めてある車が、今にも動き出しそうなくらいに前後にタイヤからぐらぐら揺れる。(今思えば、東西方向に揺れていた)
大きな庭木も揺れてる。
家中の窓がガタガタ音を立てている。

とうとう来ちゃった、大地震!!

まだ時々揺れているのに、あきは外へ出たら散歩に行けると勝手に思っていて、「連れて行け!」とばかりに、指をぱっと開いて爪を立てて、ガリッと私の膝をひっかいてきて・・・

「あんた、非常事態だよ!?お散歩どころじゃないんだからね!?」
・・・と言ったところで、判ってはくれない。(だろうとは思っていたけど)

仕方ない。「し〜し〜だけ、しに行こう。」
そう言って、メダカの池のそばのあぜ道を歩いて行こうとしたら、また地響きとともに大きな揺れが…もう勘弁して〜(×_×)

用が済んでも帰りたくないというあきを、おやつで釣って家に戻ってきても、なんだか落ち着かなくて・・・

クジャクたちも地震の度にべほ〜べほ〜鳴きまくっていました。(揺れる直前に鳴いて、知らせてくれます。)

そうこうして最初の地震発生から1時間位?したころ、さっきのは震度どれくらいだったんだろう?
家の中、すごいかな?

そして、覚悟をしながら家の中に入ると、あれ!?異常なし?
でも、さすがに電気は止まっちゃったみたいね。

叔母には自宅に戻ってもらい、
さて、我が家の被害は?と、見渡してみることに・・・

1階は、不安定な場所に置いてあった花器が落ちて割れた、(幸いにして水も入ってなかった)、タヌキの剥製が転がった、ピアノの上に置いてあったパンフラワーの花が落ちて欠けた(花瓶は落ちても割れずに、パンフラワーが欠けた)程度ですみました。
2階はといえば、弟と私の部屋が、元々すごかったから、偉くすごいことになっていましたが、割れた物も壊れた物もなく、積み上がっていた物が崩れて散らかったくらい。(;´へ`A``

そして、私の仕事場も・・・一見どうもなさそう。
地震後の仕事部屋
ブラウン管の20kg位あるモニターが、5cm位前に移動していたり、Yawaraちゃんの本体とモニターが少し動いていたりもしたけれど、落ちたりもせずにすみました。

この写真の手前(段ボール箱の横)にもう一つ作業机が置いてあり、そこへ書類やら封筒を山積みにしておいた物が、少し床に落ちて散らかったりはしたものの、その他、幸いにして、被害という被害はありませんでした。

だから、今の震度がどれくらいなのか?震源はどのあたりなのか?TVで確認できないのと、電気が使えないと水(地下水)もモーターでくみ上げているので、ちょっと困るな〜なんて思って安易に考えていたところ・・・
とんでもない非常事態に陥ったことが、後々わかることになったのは、皆さんと同じでしょうか。

ただ、我が家は農家なので、普段の生活以外で電気が使えなくて困ったことは・・・
まだこのときはとても寒くて、トマトやキュウリを栽培しているビニールハウスを電気で管理をしている都合上、寒さに耐えられなくて作物がだめになってしまうのではないかということです。

そもそもトマトもキュウリも夏野菜なので、寒い時期に作るには、ビニールハウスの中でしっかり温度管理をしているんです。

ビニールハウスの構造は、外側のビニールは手動で開け閉めができるようになっています。(これは、家で言うと、ドアや窓と同じようなもの)
そして、内側にはビニールカーテンが開け閉めできるようになっていて(家のカーテンと同じ)、これで日中あたたまったハウス内が、夜間著しく冷えるのを防ぐことができます。このカーテンを、電気で開け閉めができるようにしてありました。
もちろん、冬はそれだけでは温度を保つことができないので、暖房機で暖める必要はあります。

なので、電気が使えないと、そのカーテンが閉められないばかりか、暖房機のスイッチまでが入らず、温度が保てなくなるのです。
中のカーテンを閉めて暖房をつけなくては、明け方の霜が降るような気温には耐えられません。
キュウリもトマトも一晩でだめになってしまいます。

東電の近くの営業所へ電話をかけるもなかなかつながらず、やっとつながっても、「電気を通しても問題ないか、点検して回っているので、それが終わり次第電気を通します」と言われても、いつの何時とは言ってもらえず。。。

仕方がないので、家中の灯油のストーブを集めて、余震で揺れる中、ハウスの中にストーブを運んで、なんとか急場をしのぎました。
家の中だって寒いけれど、人は布団にくるまって寝ることができるのでね。

ちょっと話がそれますが、その晩、余震が山手線並に頻発している中で、あきは大いびきをかいて、私のベッドのど真ん中で寝ていました。
私は斜めになって布団に入ったものの、眠れませんでしたよ。
揺れとそのイビキで。( ̄。 ̄;)

どんなに朝が待ち遠しかったことでしょう。
ぐっすりは眠れないので、早く夜が明けないかな?とそればかり思って目を閉じていて、うとうととしかけた頃、外でバイクの音が聞こえました。
「新聞屋さんだ!」
「あの地震の中印刷できたんだ?」なんて思ったら、妙に嬉しくなりました。

でも、朝になってその新聞に目を通したら、言葉を失う程の事態で・・・


・・・というのが、その時から翌日にかけて起きたことで感じたことです。
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